芝生の青さ-コロナの影響
表題を見て、一体どんなつながり?と思った方もいるかもしれません。
罹患された方、大変な思いで現場を支える医療関係者の方、休業・失業で生活が困窮している方、コロナで様々な影響をうけている方がいると思います。
一方で、自然に目を向けてみると、いつもと違った風景に出会うことができます。
自然を隔離
最近天候を理由に数週間サボっていますが、私は、週末に30分~1時間ほどのんびりジョギングすることがあります。
近くにある大きな運動公園の中を走りますが、その時にふといつもと違うと感じることがありました。
それは芝生です。
10年以上通っている公園ですが、本当に元気でのびのびしているんです!
コロナで数カ月間、その公園内は閉鎖されていました。
駐車や駐輪さえ出来ないので、歩いて行ける近所の人しか入れません。
大きな公園にごくわずかな人しか利用できませんでした。
広大な公園を独り占めに近い状態で利用できたので、ある意味贅沢です。
公園が解放されていた時は、当たり前のように芝生の上で遊んだり、
足の負担の軽減のためにあえてそこを走ってみたり、
競技が終わった後の反省会をしたり、
犬とたわむれたり。。。思い思いに芝生の上で色んな人が楽しんでいました。
ただ、かなり多くの人がくるので、芝生は場所によっては元気がない。
踏みつぶされて、芝生がなくなっている箇所もありました。
それが、人から踏まれないことで、これまでにないくらい青々としているんです。
踏まれる・抑え込まれる
緑を見て触れると癒されるので、人は自然と寄っていきたくなるものです。
でも、芝生も踏まれ続けて、実は、いっぱいいっぱいだったかぁ…なんて思いました。
そして、そんなことを考えると切なくなります。
自分のことのようにも思えてきて。
アスペルガーの旦那さんとの生活では我慢が不可欠。
その “私が我慢する”ということに、「被害者ぶって」と言わんばかりな態度も取られます。
そうして、どんどん自分を抑え込んでいる自分が公園の芝生のようにも思えてきました。
いくら芝生でも、踏まれ続ければ元気をなくすよな。。。
でも、長い休園期間のおかげでよみがえった。
静かに太陽の光をうけ、雨に濡れ、風にそよいで、とありのままにいられる期間があったからかな、と思います。
そして、それは人間も同じかな、、と思えました。
今朝、ある別の公園に行った時もやっぱり、芝生が青々と、そして遠目ですが、ふかふかしてる感じでした。
随分と久しぶりに子供たちのサッカーの試合が行われていました。
また、踏まれてしまうけれど、人を元気に、楽しませてくれる場を提供する大きな役割も果たしている。
一休みすれば、私も前向きに気持ちに余裕をもって旦那さんとの生活を送れるのかもしれません。
自分に合った一休みの方法を考えようと思います。