アスペルガーと夫婦のかたち
先日片付けをしている時に、以前参加した自助会でのメモを見つけました。
見返すと実践できていることもありますが、意外に忘れていたこともありました。
「あー、なるほどこうやって考えれば気持ちが楽になるかも」と読み返して思いました。
忘れず、実践できているうちに入るのが、自分を大切にするということです。
これは、わがままでもいいんだ、自分を最優先で考えていいんだ、と思うことで随分と救われています。
夫婦の役割にこだわらない
忘れていたことの一つは、アスペルガーのパートナーとの夫婦の役割を固定観念にとらわれず見直すということです。
この“固定観念にとらわれず”というのがポイントになるかと思います。
これは、忘れていました。
“普通の”夫婦のように、「こうしたい、ああしたい」っていうことはあると思います。
でも、アスペルガーのパートナーとの生活では、その“普通”がうまくいきません。
例えば、我が家の場合は一緒に食事をすることや、一緒に何気ない会話を楽しむ、一緒に買い物に行く、などです。
夫婦、家族だから一緒に食事をする、帰宅してその日のことを話す、買い物は一緒に出掛けるものだと思っていました。
だから、そういったことができていない私たち夫婦は、問題がある、うまくいっていない、と負い目を感じていました。
でも、よく考えてみると、実は自分にとってプラスなこともあります。
それは、ゴミ捨てや掃除など結構家事を手伝ってくれるということです。
どうして我が家は、そんなことになっているのか。
これは、アスペルガーの旦那さんが役割を見直した結果です。
私のメモ書きを見たわけではりませんが、私が旦那さんに対して怒る時の解決策として、家事の負担を見直せばよいと考えるようです。
実際には、ちょっと感情を共有し合えば良かったり、ちょっと話を聞いてもらえれば解決することがほとんどです。
でも、感情の共有が非常に苦手なアスペルガーの旦那さんにとっては、それ以外の行動で示すという事の方が分かりやすい解決策のようです。
私が怒ってしまう原因は、私の負担が多いからじゃないか、だから自分が何か手伝えば良いと考えるようです。
最初は、私の考えが古いのかもしれませんが、男性に家事を任せるというのは、ちょっと気が引けるところがありました。
“先ほどの固定観念にとらわれず”ということに関連して、夫だから妻だから、男性だから女性だからとこだわらなくていいんだな、と改めて感じました。
そして、そのことで、自分も楽になれる部分が確かにあるなと思います。
家事を積極的にやってくれるから、ほんとはもっと話したかったり、出かけたかったりしても、「まあいいか」と思えることがあるからです。
そして、傍から見れば、“奥さんに協力的な良い旦那さん”となるのだと思います。
“普通”を手放す
そう考えると、“普通”に見えることにこだわる必要はないかもしれません。
自分が書いたメモの中にこんなこともありました。
“アスペルガーのパートナーと暮らしやすい生活環境を整える、普通の平均的なものを求めない。”
確かに一般的な夫婦の形と比べると足りてないものや違ったものばかりです。
ただ、私自身が世間一般の“普通”を旦那さんに求めることで、現実とギャップが生まれ、時には怒りとなって爆発している原因となっているかもしれません。
「普通であること=人の目を気にすること」をやめれば、私自身ももっと気が楽になるのだと思います。
そして、普通でないことで、自分にとって良いこともあるなと最近思うようになりました。
おかげで自分の時間を持って、自分の目標ってなんだろう、何がしたいんだろうなど、深く考えるようになりました。
実際には冷戦中にこんなふうに落ち着いて考えることはできないかもしれません。
でも、一歩引いて、我が家はこういう夫婦の形だから、と怒りが噴出しそうな時に考えらるようになりたいと思いました。
そうやって、自分の心の在り方を安定させることで人間的に成長するかもと思います。