コロナ禍・メディア・アスペルガー
我が家はテレビをみません。
それは、アスペルガーの旦那さんとの生活を円滑にするための条件の一つです。
テレビの画面がついているとすれば、Amazonのfire TV stickをつけているので、ユーチューブで環境音楽を流したり、Amazonプライムのビデオをみたりする時ぐらいです。
もちろん、ビデオは旦那さんがいない時に。それ以外はパソコンかタブレットで画面が旦那さんの目に入らないように配慮しています。。。
世の中の情報を知るのは、新聞かネット経由です。
でも、、それが、、もしかしたら、、このコロナ感染拡大の時期には結果的には良かったかもしれないと最近思います。
なぜか。。。
人間は、もともと生き残るために恐怖や不安に対して嫌でも反応してしまう生き物なのだそうです。
「え?そう??」と思う方もいると思います。
普段そんなことは気にせず生活していることがほとんどだと思います。
認めなくないかもしれないけれど、意外に人間は残酷な事件・事故・災害等々そんなニュースが流れてくれば、知らず知らずのうちに見入ってしまう。
気が付けば、30分、1時間なんてあっという間に過ぎている、なんてこと良くありませんか?
でも、よく考えてみると、それは、本当に自分にとって必要なことか、と思うようになりました。
テレビを見なくなって思うのは、ニュースがニュースを作っているというか、煽っているというか。
トイレットペーパーが一時的に店頭から消えてしまったのは、その典型とも思えました。
情報は新聞だけで十分だなぁー、あとはネットのニュースで補足すればいいかなっーて、最近よく思います。
本当に必要な情報か?
職場の友人が、「政府がこんな支援をすることを考えてるらしいけどさー、でも、それってさー……..」と色々と意見(文句)を言っていました。
ただ、まだ決定事項ではないことを一庶民が反論したところで何も起きない。
正式に抗議するなら別ですが。
そして、ある日は、「どこどこ(近隣の市)で、感染者が出たらしいよー。」「どこどこの感染者は、東京に出張に行ってたらしいよー。」などと、報告してくれる。。。
「ほんとぉー?」としか言えない。
結局テレビで流れていることを、視聴者は身近に感じてしまいます。
(そう感じなければいけないこともあるけれど)
でも、冷静に一歩引いてみてみると、日々の生活に全て必要な情報かというと、そうではないようで。。。
冷たい言い方だけど、今自分が出来る予防をすればいいだけでは?と思ってしまう。
(もちろん、そんなこと友人には言わないですが。)
なので、私は、テレビを見る時間は、無駄な時間かもしれないと思うようになりました。
それよりも、何か新しい英単語でも一つ覚えたいと思ってしまいます。
そう、不安や恐怖に躍らされるよりも、前向きなことに時間を使いたい。
気づいている人は少ないけれど、1日24時間はどんな世の中の人にも平等に与えられているということをある本で読みました。
で、それがなに?と思う人が大半なのでしょうが、、
その平等に与えれた時間の使い方で人の生き方や人生が変わっているということを改めて最近実感するようになりました。
色々とやりたいことがあっても、時間が足りない。
だけど、与えれらた時間には限りがあるので、頭を使って効率よく日々時間を投資していくしかない。。。
その頭の使い方が、大きな成功を収める人は違うんだろうなぁ、なんて思います。
因みに、先ほどの本は、100年以上前にイギリスの小説家アーノルド・ベネットという方が書いた「自分の時間」(渡部昇一氏 訳解説)です。
限られている時間をどう使えばよいかということが書かれています。
結局、いつの時代も人間同じことに悩んでいるようですね。