傾聴・その先にあるのは・・・?
アスペルガーの旦那さんとのコミュニケーションを上手くできないかと思い、
“傾聴”を意識して話を聞くようにしました。
それは、自分自身のこころの健康状態を保つためでもあります。
ただ、意識するようになって、上手いく時とそうでない時の2つのパターンがあるなぁと感じます。
上手くいかない場合
上手くいかない場合は、私のこころに余裕がない時に、どんなに傾聴しようと意識しても
余計に事態を悪くしてしまいます。
どうして、こころに余裕がないかというと、、旦那さんに対してイライラが溜まっているからです。
例えば、私のことを何日も無視していたり、原因が私でなくても怒りをモノにぶつけていたり…。
そんな状態で、「実は今日こんなことがあって、、、」と話しかけられても上手くいきません。
一旦は、旦那さんのそれまでの理不尽な態度にもかかわらず、
全てを受け入れるということを意識して聞いてはみます。
けれど、だんだん、、どうして旦那さんのために自分が言いたくなることも我慢して
聞き続けなければいけないのか、どうして私がこんなにがんばらないといけないのか。
と疑問が湧いてきます。
向こうの話を私が一生懸命聞いても、向こうは私の話を聞いてくれるわけでもない。
私が言うことは、ほんの一言、相手の気持ちも考えず無神経な一言で返答する。
旦那さんを怒らせないように、そして自分も怒らないように一生懸命になれば
なるほど、みじめに感じる。
一体私は何をやっているんだろう…?と。
そして、最終的には「私が」爆発するんですね。。。。
上手くいく場合
上手くいく場合は、もちろん私のこころに余裕がある場合。
そのこころの余裕が生まれるのは、結局のところ、、、旦那さん次第です。
相当会社でイライラすることがあっても、厳しい顔つきで帰宅せず、モノに当たらず、
ひと呼吸おいて、「今日、会社でムカつくことがあってさ…」と言ってくれるだけで随分違います。
“大変な一日だったんだな、どうしたんだろう?”と、聞く耳を持てます。
そうして、話しだすと本人も分かっていて、
「何度も同じことの繰り返しになるけどさ」と、途切れなく同じ内容がずっと繰り返されます。。。
これについては、仕方がないと思います。
完全に脳のつくりの違いから起こるものだと思っているからです。
でも、「そうだね。」「それは怒るよー。」と、旦那さんの言いたいことを
そのまま受け入れようとする姿勢でいれば、
「ねえ、どう思う?」「どうすればいいと思う?」と私に意見を・話すチャンスをくれます。
ようやく普通の会話が久しぶりにできた、と思えます。
こうして上手くいく時ばかりだと良いですが、そうはいかない。
結局は…
でも、ふと思ったのは、結局はお互いのこころの余裕を保つことが
傾聴を上手く活かすのには必要だということです。
以前、カウンセリングの先生が、
「アスペルガーの人に併せてあなたの生活が振り回せれようになると大変だし、
その振り回される時間はもったいない。」とおっしゃいました。
まずは、自分のことを大切にしなさいということです。
同じ生活空間で、旦那さんの機嫌に影響されずにいることはとても難しい。
でも、何か自分の逃げ場というか没頭できるものがあれば、
自分の心の余裕を保つことが出来ると思っています。
それで、私はこうしてブログで自分の気持ちを吐き出したり、英語を勉強し直したり、
こっそりプライムビデオを観たりするのですが、それでも解決とならないことがあります。
それは、まだまだ振り回されないためにできることの引出しが足りないのかなぁと思います。
コロナでなければ、友達とランチに行ったり、一人旅をしてみたり、帰省したり、色々選択肢がもっとあるのでしょうが。。。